今回は言語と非言語の話です。
人によってはちょっと抽象的な話と思われるかもしれません。
人は、言語を使った意志伝達の過程として、まず伝えたい事柄が意識上に湧きあがり、それを己が理解している言葉とその組み合わせで表そうとします。言葉の一般的意味はおおよそ決められています。
例えば、鳥の意味を調べますと、「鳥類に属する生物全般を示す一般的な呼び名。全身が羽毛で覆われ、翼を持ち、多くの種が飛翔能力を持つ。」となっています。そして鳥という言葉が使われる時、伝達者が理解・イメージする「鳥」と被伝達者が理解・イメージする「鳥」がおおよそ合致すると意思疎通が果たされます。それぞれのイメージが共有されるということです。ですので、言語によるコミュニケーションを取りたいのであれば、言葉の一般的意味を理解する必要があります。また、単語の組み合わせや順序(文法)を理解することも必要です。
ただ、筆者は言語で表せることには限りがあると思っています。
同じ言葉でも、ある人のイメージする言葉の意味と他の人のイメージする言葉の意味が違う場合があります。例えば、ヒマラヤで生まれ育ったAさんは「山」という言葉の意味を「エベレストのようなとても高い所」として理解しています。一方、海抜10mの島で生まれ育ったBさんは「山」という言葉の意味を「周囲より少し盛り上がった所」として理解しています。AさんとBさんが「山」について話をすれば当然ズレが生じます。理解し合うには、「山」という言葉以外に相手の背景を知る、あるいは察しなければなりません。
また、己がイメージすること・伝えたいことを表すにはとても長い説明になってしまう場合や、そもそもそれを表す言葉がない場合もあります。先ほどお伝えしたように、言語表現では言葉の一般的意味と用法を理解し使いこなす必要がありますが、一般的意味を持つ言葉として定義されていない事柄があります。むしろ万物万象のうち言葉として定義されているのは極めて少ないというのが私見です。これを解決するために、いくつも例を挙げながら説明したり、一般的意味とかけ離れた独自の意味を持たせた言葉を使ったりする場合があります。意志伝達を拡張させる一つの手法といえるでしょう。しかし、些か面倒に感じるのは否めません。
筆者はめんどくさがりなので、言語で表しにくいものは非言語で表したらいいと考えています。非言語であれば、音でもいい、絵でもいい、動きでもいい、となります。五感で感じ取れるものであれば何でもいいのです。筆者の場合は写真になります。言語表現がどうも苦手という方や言語より非言語の方が馴染みやすいという方は、非言語に重きを置いてみると新たな発見があるかもしれません。