6月末にもかかわらず、筆者の暮らす地域では真夏かと思うような暑い日が続いております。皆さまのお住まいの地域では如何でしょうか。

今年は梅雨の期間が短かったように感じます。近年降雨による災害が多かったので、目立った水害がなかったことは幸いでした。梅雨明け以降も大きな水害が起こらないことを祈ります。

梅雨といえば、今年の沖縄の梅雨入りは5/20前後と発表されていましたが、筆者の体感とは異なります。4/20頃から梅雨入りしたと感じます。その頃を境に湿った南風が吹きはじめ、雨の日や湿度のかなり高い日が増えました。観光面においてゴールデンウィークはかき入れ時なので、それより前に梅雨入り発表することはありません。今年はそのパターンだったように思います。ちなみに、北海道では梅雨はないと言われることがありますが、違います。20年程前から普通に梅雨はあります。ただ、今年は雨の日が少なかったので、梅雨らしさを感じなかった人が多いかもしれません。

 

さて、本日は「明らめ(あからめ)」と「諦め(あきらめ)」の話をしたいと思います。

言葉の意味を簡単に説明すると、「明らめる」という言葉の意味は「明らかにする、はっきりさせる」。一方、「諦める」という言葉の意味は、「断念する、見切りをつける」です。“事情を考察・分析し、それを明らかにした結果、可能性がない、或いは、極めて低いと判断し、断念する”という流れの中、明らかにするという作用に重きを置くのが「明らめ」、断念するという結果に着目するのが「諦め」です。

これらの前提に共通して求められる概念が冷静さです。

 

事情を明らかにするのは冷静でなければできません。つまり、感情に振り回されないことです。しかし、人という生命体は感情を備えているわけですから、常に理性的でいることは困難ですし、そうあるべきとも思いません。感情には起伏があるので、それが落ち着いたところで考察・分析すればよいのです。今感情的になっているなと思ったら、その場は一旦引き下がること。そして、心身が緩んで落ち着いた時に改めて考える、というのが大事かと思います。感情的な時にまともな分析はできませんし、そのような状態下では、状況的に望ましくない判断をしたり、果ては状況を悪化させる言動をすることすらあります。冷静に、そして視野広く、ありのままを観察した上で、考察・分析することは、現状把握や現状打破につながりやすいです。また、自己的・内面的問題や他者的・外面的問題に取り組む際にも鍵となってきます(例えば、現状では理不尽に見えることでも、事情を明らかにしようとする試みの中で、全体像が見えてきたり、思考プロセスを振り返ったりすることで、その状況に納得することができる、というような場合です)。

 

諦める、すなわち「断念する」。筆者は、諦めるという最終的な判断よりも、それを下す少し前の状態、つまり「引き際を見極める」ことの方が大事かと思います。これは簡単そうで難しいと思います。それは明らめる時以上に理性的でなくてはならないからです。例えば、親族や親しい間柄にある人を巻き込む問題、事業の整理や撤退、投資における損切り。そのような場面で諦めるという判断をしなくてはならない時、これまで、そして今後の人間関係、関わっている人々の背景、投資してきた労力や費用や時間など、たくさんの事柄が頭をよぎるでしょう。それを感情的ならず、割り切って考えられるかどうか。事案によっては人から非情と言われるかもしれません。それでも、どこかで判断をしなくてはならない、なるべく早めに判断したほうがいい場面です。こういった場面では、冷静、かつ、欲や執着をできる限り除いた状態になれるかどうか、がポイントになります。それができれば腹を括る心持ちで臨む事ができるでしょう。そうして視界が明るくなり、次の機会につながっていくのだと思います。

 

私も他の皆さんも、みんなが感情をうまく乗りこなしながら日々の生活を送れたらいいですね。心身を緩める方法、冷静になる方法は様々です。機会がありましたら、何れここで何点か紹介できたらと思います。

 

なお、「明らめ」と「諦め」、どちらも元は仏教用語の「諦(たい)」という言葉から来ています。「諦」の意味は、「真理」です。